まいたけ見聞録

脳菌なので世の中のことはよくわかりません

ハッピーエンドの後も人生は続く。それでも救いを求めてハッピーエンドは求められ続けるだろう

めでたし、めでたし。

 ハッピーエンドといえば道中にいろいろな問題を抱えながらも物語の最後にはおおよそ都合よくめでたく終わるような小説や映画などの結末を指していますよね。大団円。ハッピー!

 

今回の記事では、ハッピーエンドをむかえる物語の意義について簡単に考察してみようと思います。

 

ハッピーエンドはありふれている

 

漫画にせよドラマにせよ映画にせよ、世の中には最後は大団円で幕を閉じるような作品はあまりにもありふれているように思います。さまざまな苦難や困難に立ち向かい、壁に突き当たりながらも最後には主観的、あるいは客観的な成功をおさめるサクセスストーリーやシンデレラストーリーと呼ばれる作品はだれでも簡単に思い浮かべることができるのではないでしょうか?

あるいは一話で完結するようなアニメなどはたいていは最後には丸く収まって「いい感じ」で終わるものが多いように思います。例外も多いですけど、、、

○ン○ンマンがかならず○イ○ンマンを最後にやっつけるようなイメージです。

たいていの物語は、ハッピーエンド、バッドエンド、どちらとも取れないようなもの、あるいはどちらにも受け取れるものの4つに分類することができると思います。

エンディングの解釈が難しい映画をあげると最も切ないハッピーエンドともいわれる「バタフライ・エフェクト」やラストに怖さをのこす「インセプション」、「シャッターアイランド」などがあります。

 

とはいえハッピーエンドを迎えるような作品がこれほどまでひろく受け入れられているのはなぜなんでしょうか?

 

 

人はだれしも幸せになりたい

 

ハッピーエンドが求められる一つの理由として人々が幸せを求め続けるという特性、あるいは行動原理によるものがあるのではないでしょうか?実世界で成功を収めたい、幸せになりたいという欲望は人類に普遍的なものでしょう。

幸せな主人公に自己を投影することで作品の世界観を楽しめるという側面もあるかもしれません。ただ個人的には、自己投影による効果は限定的であると考えています。

むしろ、自身とは境遇が大きく異なっていても置かれた環境に想いを寄せたり、共感することができるというところが大きいのではないかと思います。

 

 

ハッピーエンドのあとも人生は続く

 

作品の上では終わりを迎えても、その後も時間は流れていくはずです。ハッピーエンドというものも、あくまで場面の切り取り方次第であると言えるでしょう。しかしながら作品を通して何をメッセージとして伝えたいか、「その後」を受け取り手に想像させる点でもエンディングは大きな意味を持つはずです。

 

救い(希望、救済)としての結末

 

 人生とは選択の連続であり、それぞれの選択が最善のものであったか、それを確かめるすべはありません。解の定まらない方程式の海を時には行先もわからずに漂うこともあるでしょう。

ハッピーエンドは答えのない人生に一つの正解を与えるものであり、それは、すなわち救いを示していると言えるのではないでしょうか。最後には正義であるア○パ○マンが悪のバ○キン○ンを倒すことで、救済され、希望を持つことができる、言い換えるとキリスト教においては原罪を被る人類へ神が与える救済、仏教においては悟りを開き、苦しみから解放される救済を暗に提示しているというものです。

 

もちろん、これまでに書いたことはあくまで限られた側面から考察したものであり、より多面的な説明もできるでしょう。バッドエンドであっても人の心に深く訴えかけるものも多くありますし。

 

おしまい